「一歩一歩」 ~ 被災地 石巻へボランティアに行ってきた
先週、当ブログでも参加のお誘いを行った、谷山ゆうじろう氏(今回は、8切りのゆうじろうと呼ぶことにします w)の呼びかけによる、被災地 石巻へのボランティアツアー「世界をつなぐ都市、TOKYO ボランティアツアー第一弾」に参加し、微力ながら復興へのお手伝いを行なってきました。 当エントリーでは、僕が行った作業内容や被災から50日経った石巻市の現状、被災地でボランティアを行う際のちょっとしたアドバイスなどをお伝えしたいと思います。 これから被災地でボランティアに参加する、またはボランティアを検討している方々の参考になればと思います。 目次 ボランティア活動、一日目 ~ 側溝のドブ出し ボランティア活動、二日目 ~ 民家のドブ出し これからボランティアへ行かれる方へのアドバイス 石巻市災害ボランティアセンターや石巻市街の状況について ゆうじろうと愉快な仲間達、ありがとう! 三日月が綺麗だった、四十九日 東日本大震災からちょうど四十九日にあたる4月28日 東京駅 丸の内ビル前に24名のボランティア参加者が集合した。 参加メンバーはそれぞれ、顔も名前も知らない。 唯一、知っていることは、8切りのゆうじろうの知り合いであるということのみ。 人見知りな僕だけど、8切りのゆうじろうの知り合いという安心感や、今回のツアーの目的や想いが一緒なので、直ぐに打ち解けることが出来た。 TOKYOを出発する前、僕達は四十九日と言う事もあり、バスの中で黙祷を捧げた。 被災で亡くなられた方々のことを想い、バスは宮城県石巻市へ向かった。 ボランティア活動、一日目 早朝5時過ぎ、石巻市災害ボランティアセンターが設置されている石巻専修大学に到着。 TOKYOでは桜が散り終えようとしていたが、石巻では満開の桜が僕達を出迎えてくれた。 ボランティアの受付まで4時間程あったので僕達はテントを設置し仮眠をとった。 9:00 受付では「ボランティア受付用紙」への記入を済ませると、石巻ボランティアセンターのスタッフが各派遣先への割り振りを行っており、僕達は大街道北1丁目付近での作業隊に配属されることになり、マイクロバスで現場に向かった。 住民は水道が使えない 初日の現場では、まず駐車場に積まれていた「乾いたドロの塊」を土嚢袋に積める作業から始まった。 その後、道路の側溝のヘドロ出しを行う事に。 側溝にはドス黒いヘドロが詰まっており、水がまったく流れないため、この付近の住民は水道が使えない状態だという。 このヘドロ出しは、想像以上に汚臭がきつく、なかなか大変な作業だったが、作業を終えた時には、左右の側溝で約400m位の距離を片付けることが出来た。 しかし、約15名の大人が半日掛けて、400m位の距離しか片付けられないのかと思った。 被災地が完全に復興するまで、何年かかるのだろうか。 地味だけどこの様な作業を、日々行うしかないのだ。 ボランティア活動、二日目の午前 早朝6時頃、震度3の余震で目が覚める。 テントの外ではカラスがざわめき、僕はミイラ状態の寝袋の中で、TOKYOの余震では感じたことのない恐怖感を覚えた。 二日目は継続の受付を行っていた時に石巻ボランティアセンターのスタッフから「もう配属先は決まってますか? 3名探しているのですが」と声を掛けられ、僕はその作業隊に加わり、その日の現場、住吉町へ向かった。 住吉町は旧北上川沿い周辺のため、この地域では民家の一階部分がほぼ全損状態だった。 昨日、訪れた大街道よりも被害が大きいように思えた。 作業は民家の家具出しとドロ出し。僕達は民家に住む奥さんに確認をとりながら、一階に置いてある家具や思い出の品々を廃棄場に運んだ。運ぶ物一つ一つに家族の思い出が詰まっているんだと考えたら、とても切ない気持ちになった。 その後、その民家の庭のドロ出しを行い、二日目の午前の作業を終えた。 その民家の奥さんが別れ際に、「一ヶ月間くらい連絡のつかなかった親戚が、昨日、避難所で見つかったんです」と涙目で話してくれた。作業を行っていた時は切ない気持ちだったが、その話を聞いて温かい気持ちになれた。 昼食後、少し時間があったので同じツアーで来ているメンバーと共に、川沿いを見に行くことに。 そこには、想像を超える街の状況があった。 川沿いの民家は壊滅状態 あまりの悲惨な状況に言葉を失う・・・ 見ているのも辛い状況だったが、今、自分が出来る事はこの状況を伝える事と思い、写真を撮った。 ボランティア活動、二日目の午後 [...]



